考える大学生

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「新型コロナウイルス」は人間を間引きする「地球の細胞」!?

目次

 

地球は一つの生命体だという考え

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新型コロナウイルスが流行してからずっと思っていたことがある。

「地球は自己調整機能を持つ、一つの生命体なのでは?」と。

 

皆、「人間にとってどのようなモノか」、といった人間中心で物事を考えがちだが、「地球にとって人間はどのような存在か」、を考えてみるとどうだろう?

森林伐採水質汚染・大気汚染・生態系の破壊・・・etc。

 

地球「ふざけんな!!!」

 

無理も無いだろう。人間が「地球のために」としてやっていることは、すべて人間が招いた出来事の修正に過ぎない。人間が地球を蝕んでいるのは、ここ最近十年間の夏の暑さで身をもって体感することが出来る。

そこで、私にはこの地球にとって人間という存在が、一種のウイルスのように見えたのである。

 

ここでもし地球が生命体であるとするならば、「地球はコロナウイルスという抗体を生み出し、人間を間引こうとしているのではないか」と考える。

 

なぜなら、人間がコロナウイルスに対するワクチンを開発しても、それを凌駕する新たな変異株が出現したり、コロナウイルスは高齢者にとって危険度が高いことは、社会問題である少子高齢化問題に対応している点など、まるでコロナウイルスに意思があるように思えたからである。

いや、コロナウイルスに意思があるのではなく、地球という生命体に防衛本能が働いているのではないだろうか。「人間」⇒「ウイルス/異物」 「コロナ」⇒「白血球/抗体」という考え方である。

 

ただの偶然かも...

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「確かにそう考えることはできるけど、そんなのただの偶然でしょ。」

この一連の出来事はただの偶然かもしれない、もちろん私もそう考えた。

しかし、もし地球が生命体だと考えた時、犬や猫、熊や牛、人間などの生命体の体の中では細胞・微生物同士が様々な偶然を起こしている。アルビノ種なども遺伝子の突然変異で偶然の出来事と言える。

ならばこの地球内で起こる偶然は、ごく当たり前のことではないかと考える。

 

最後に

この記事を書いて見返した時に

「ただの妄想やん」

とバカバカしい気持ちになったが、なかなか斬新な発想だと思うようにしている。

面白い考えだと思ってくれると嬉しい。

 

下板橋駅で自殺した19歳の女の子の話

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この前、19歳で駅のホームに飛び降り自殺した女の子のお墓参りにお邪魔した。2020年 9月14日 5時20分。その日、私は何をやっていただろうか。そんなことを思いながら、今日はその女の子の話をしようと思う。

「ずっと笑っていた、そんな子だった」
友人から過去を聞いた。
最近知り合った大学の友人。友人の友人の話だから私は出会ったこともなければどんな人かも知らないので安直にとりあえず過去を聞いてみた。

高校を中退し、通信学校に通った。卒業はしたらしいが、18歳から19歳までの1年間は壮絶だった。
ひとつはリフレ。ご存知だろうか。リフレとは女性が男性にマッサージをしたり個室で密着しながらお話をするようなところである。時々お金を多く払ったなら本番もすることがあったらしい。その後はキャバクラ、コンカフェなど水商売を中心にお金を稼いでいたらしい。かなり儲かっていたらしいのだが、そのお金の行先はホストであった。
ADHDの診断書も貰っていて、処方された薬以外にも多くの薬、タバコ、酒に溺れていたらしい。

かなりネットに浸透していたらしく、アイドルになる事が夢だったらしい。直近で働いていたコンカフェもアイドルとの繋がりが多くあり、少しでも夢に近付こうとしていた。だが、そこのスタッフから虐げられていて、スタッフがお店の金を盗んだ事件の濡れ衣を着せられた事もあったらしい。

母親も友人も、いつかは死んでしまいそうだったと言っていた。けれどそんな人生でも笑って、挙句の果てには人の心配をする思いやりのある子だって言ってた。

話を聞いてみて率直に、一度会ってみたかったなと思った。自殺を止めようなんてそんな野暮なことはする気は更々ないが、話さなきゃ分からないことを知りたかった。それと同時にこんな世の中変えてやりたいって思った。ちょっと願望デカすぎるかもしれないが、それ程の体験であった事を伝えたい。これから作る私の作品の一部に組み込んで、どうせなら私の一部になってくれ。そこから作品に対して何かを受けた人が、行動を起こしてくれればそれでいい。そうやって廻って行くんだと感じた。だから何かを遺さなきゃと使命感があった。

何が自殺させたのかを考えても仕方なかった。
悪いのは好きにさせたホストか。
環境を作った親か。
死ぬ時まで付き添わなかった友人か。
あの子を買った奴らか。
自分を売ったあの子か。
別に悲しくはないが死ぬなら知りたかった。

まずは第一歩としてあの子が生きていたという証拠をここに残そうと思う。

「犯罪だからダメ」……何かおかしくない?

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人生のあちこちにある「禁止」「ダメ」「やっちゃダメ」
最近この言葉にすごい敏感に反応するようになってる。
こういうのってふとした場面で目にすることがあって、立ち入り禁止、犯罪ダメ、派手髪禁止、嘘ついちゃいけない、etc...。そしてこういう時、皆口を揃えてこう言うのだ。
「犯罪だから、、」「禁止されてるから、、」
何か違和感を感じない?法や条例、ルールを犯すことがいけないの?それともその行為自体がいけないの?正直私は罪を犯すことが悪いとは微塵も思わないし、殺人だって別にいいと思うんだ。殺人は被害者側に同情しがちだが、殺人をすることで心が救われる人間がいてもおかしくない。私からすれば犯罪だからダメって言う貴方達を見ると洗脳されてるようにしか見えない。じゃあ何故自由にやらないかって?それは不自由になるから。そういう面では法律は上手く機能してると思う。

 

(因みに「人を殺してはいけない理由」についての記事が面白いので是非)

なぜ人を殺してはいけないのか?小学生も一発!で納得する理由の答え | お父さんはオタクパパ (otakupapa.net)

 

 

じゃあもし法律が無くなったらみんなどうするんだろう。今パッと法律が消えたら多少はブレると思うけど、多分大して今と変わらない気がする。犯罪はダメって心に植え付けられてるからね。じゃあ最初から法律が無かったら?現在ダメと言われている事が日常茶飯事で起こってるかもしれない。一呼吸する合間に数百回の犯罪が身の周りで起きているかも。私は思う。それこそが本来の人間の姿なのでは?

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寄生獣」という漫画で猟奇殺人者の浦上がこう言う台詞がある。「俺こそが’’人間’’だ!」と。平和を願う者もいるが、それとは真反対の’’刺激’’を求めた人間がポツポツと湧いてきているという事に目を逸らしてはいけないと思うんですよ。皆自分自身でも分からない心の奥底で、うずうずとした感情が蠢いているんじゃないかって。ごめん、それはただの妄想かもしれない。

 

 

話を戻すけど、「犯罪だから、、」とか、「ダメって言われたから、、」っていう人に聞きたい。
「じゃあ貴方はどう思うの?」
三者に言われた事を鵜呑みにしてる人は少しイラッと来るというか虫唾が走るといいますか、、。貴方なりの正義があるのなら是非聞きたい。それが仮に法律や規則と同じ正義だとしても、その逆でも構わない。

ーーーーーー実はこんな私にも私自身が憎悪を抱くような悪を認識する心はある訳で、、何が言いたいかと言うと、正義の押し付け合いは良くないと思うけど、、「正義は人の数ある」という言葉が本当なら、私の言ってる事は別におかしくないと思うんですよね。